「典子ちゃんは小学生の時から、大人になったら本を書くって言ってたわ」
 久しぶりに会った小学校時代の友人からそう言われた。
「えっ、嘘でしょ?」
 私には覚えがなかった。就職難の時代に大学を卒業し、週刊誌のアルバイトをしたのがきっかけで物書きになった
とばかり思っていた。
「ほんとよ。あなた、あの頃から、将来書く本の題名をもう決めてたわよ」
 同級生は真顔だった。私は、過去からの予言を聞くよう
な不思議な気持ちで、
「ねえ、その本の題名、覚えてる?」
と、彼女に聞いた。
「覚えてるわよ。……『鯛の骨』」
 それを聞いた途端、私はお腹を抱え、転げて笑った。渋い。渋すぎる。小学生の私は、『鯛の骨』という題名で、どんな本を書こうとしていたのだろうか。
 何ヶ月も過ぎたある日、不意に思い出した。そういえば、子どもの頃、母が鯛のアラをたくさん煮てくれたことがあったのだ。当時、わが家の食卓に並ぶ魚は、いつも塩鮭か鯵の開きだった。私は鮭のカマや、鯵の骨と骨の間にへばりついた皮まではがして食べる子どもだった。
 あの晩母が煮てくれた鯛のアラを思い浮かべたら、なんだか、脂ののった味が自分の全身から立ちのぼる気がした。鯛の身や皮、骨にも、醤油と砂糖と味醂のつゆがしみて、ショウガの香りが立っていた。私は身をほじくって食べながら、アラを解体し、噛めるものはガチガチ噛み、チューチューしゃぶった。鯛の骨の髄から、いつまでも味がしみ出して、それはうっとりするほど旨かった。
 当時、空前の大ヒットをしていた歌謡曲があった。城卓矢の「骨まで愛して」という歌だ。私が鯛のアラをしゃぶっているのを見て、遊びに来ていた叔母が「骨まで〜、骨まで〜」と、口づさんだ。
 気が付けば、60代半ばの私は物書きで、今こうして「鯛の骨」の味を綴っている。もしかすると人は、子ども時代
に、自分の未来を予見するのかもしれない。

もりしたのりこ◎エッセイスト/1956年、神奈川県生まれ。横浜市在住。日本女子大学文学部国文学科卒。『週刊朝日』のコラム「デキゴトロジー」の取材記者を経て、エッセイストとなる。代表作『日日是好日 お茶が教えてくれた15のしあわせ』は、2018年に、黒木華、樹木希林主演で映画化された。ほかに『いとしいたべもの』、『こいしいたべもの』、『猫といっしょにいるだけで』など著書多数。『おさかなぶっく』50号から表紙イラストレーションを担当。

 
Copyright (C) 2023 NAKAJIMASUISAN Co., Ltd.